年代、
主な政権 |
経済 |
| 1947年 |
イギリスから、8月15日にインド・パキスタンが分離独立。
社会主義的な経済を目指し、対外政策において閉鎖的、統制的な経済政策を理念とした。 |
1950年代
ネルー政権 |
輸入依存を減らす事、重工業化、公共事業などを経済計画とした。
貿易、海外資本を規制。企業の国有化を進める。その中で、重工業は発展をみせる。 |
1960年代
ネルー政権→
インディラ・ガンディー政権 |
インドパキスタン紛争。アメリカはパキスタンを支持。
農業における不作が深刻化、重点を農業にシフトする。(緑の革命)
60年代後半、関係悪化などによりアメリカがインドへの援助を打ち切り、さらに厳しく対外政策を閉鎖的にした。そのため、急激に経済は停滞する。1966年、ルピーは57.5%切り下げ。
1969年 商業銀行14行を国有化。 |
1970年代
インディラ・ガンディー政権 |
引き続き閉鎖的、3%程度の経済成長。長い停滞時期。
70年代半ば、規制緩和の動きが出てくる。
1979年、第二次オイルショックで打撃。(この時、GDP成長マイナス5.2%) |
1980年代
インディラ・ガンディー政権→84年暗殺→
ラディーブ・ガンディー政権 |
1980年、インフレ進行。
1981年IMFからの大規模な借り入れ。IMFにより様々な指導、要求により対外開放に向けて規制緩和を行う。貿易自由化、為替政策、外資受け入れ、等の抜本的見直し。経済成長は6%程度まで回復。特に耐久消費財の伸び。この時期に日本のスズキが早くもマルチウドヨグ社(自動車)等に出資。財政赤字、対外債務が膨らむ。 |
1990年代
91年、ラジブ・ガンジー暗殺→ラオ政権
バジパイ政権
シン政権 |
1990年、湾岸戦争による石油の高騰、中東地域への出稼ぎ労働(注1)による外貨獲得が出来なくなった事により、急激に外貨準備高が減り流動性が悪化。
1991年、インド通貨危機 インドとして転機となる年。
原因1、80年代の財政赤字、対外債務。
原因2、冷戦の終了などの国際的政治経済の変化による共産圏とのルピー建て貿易の減少。
原因3、上記、湾岸戦争。
原因4、国際信用の失墜により、NRI(在外インド人)の預金の減少と、国際金融における商業借款の減少。さらにラディーブ・ガンジー首相の暗殺、
ラオ政権に代わる。
対策
ルピーの20%切り下げを行う。経済の安定化、自由化を行う。関税の引き下げ。金利の引き上げ。国営独占事業の開放(鉄鋼、石油、重機械、通信、電力など)。外資比率制限の撤廃。財政赤字の削減目標を掲げる。等。
80年代の経済改革との違いは、IMFや世界銀行からの圧力ではなく、自主的な改革を進めたということです。
関税については、91年で加重平均税率が87%から、98年で20%にまで下げています。 |
| 1998年 |
アジア通貨危機 インドルピーの下げ幅は19%と他のアジア各国と比較し、軽いものでした。 |
現在
シン政権 |
経済成長6%程度 1ドル=45〜49ルピー程度
現在の首相のマンモハン・シンはインド準備銀行の総裁、財務大臣等を歴任しており、90年代のNEP:新経済政策を推進してきた人物で、今後経済政策へ期待ができそうです。 |